白血病と診断。実兄から幹細胞移植を受けることに
最終更新日:2018.5.28
患者プロフィール
48歳男性。不動産会社で営業部長として働いている。妻と15歳になる息子がおり、都内のマンションに3人で暮らしている。受診までの経緯
2週間ほど前から疲れやすさを感じていた。また、歯ぐきからの出血もみられ、食事しにくくなっていたため、妻の勧めで病院を受診した。診察・検査
まぶたの裏側は白くなっており、貧血の症状が出ていた。口の中をみてみると、やはり歯ぐきが赤く腫れており、出血もみられた。血液検査では、赤血球の減少(赤血球数210万)や、白血球の減少(白血球数3000)、血小板の減少(血小板数3万)が確認できた。
赤血球は体に酸素を運ぶ役割を担っているので、数が減ってしまうと貧血が起こる。疲れやすさはその貧血からきているものと考えられた。
また、歯ぐきからの出血については、血を固める働きを担っている血小板の数が減っているためだと考えられた。
赤血球や白血球、血小板の数が全体的に低下しており、血液疾患が疑われるという。
そこで、骨髄から骨髄液を抜いて、どのような血液が作られているか調べる「骨髄検査」という検査を行った。
診断・治療方針
骨髄検査では、白血病細胞というがん化した白血球が観察され、特殊な染色を行いさらに詳しい型を調べた結果、急性骨髄性白血病という診断に至った。急性骨髄性白血病では、異常な白血病細胞が増殖してしまうために正常な赤血球や白血球、血小板がうまく作れなくなり、減少してしまう。白血病の治療としては、小児を除く65歳未満の急性骨髄性白血病患者の場合、まず「寛解導入療法」として抗がん剤治療(化学療法)を行い、白血病細胞を殺す。その後、白血病細胞がみられなくなり治療が順調に進めば、さらに治療の効果を高めるための「地固め療法」として、化学療法を行う。
今回もまずは点滴の抗がん剤治療を行い、骨髄の中で増殖している白血病細胞の数をできる限り減らすのを目標に、治療を始めることになった。
治療の経過
1カ月ほどの入院で寛解導入療法を行ったところ、無事に白血病細胞は減少。病気はコントロールされ、「寛解」という状態まで回復していた。
事前の説明では、その後は再発を防ぐために地固め療法を行う予定となっていた。
しかし、治療前に骨髄検査で得た白血病細胞の染色体を調べたところ、「t(6;9)」という染色体の異常が見つかった。
この染色体の異常が見つかると、治療成績が悪くなってしまうことが分かっているのだという。
再発するリスクが高いため、再発を防ぐための地固め療法ではなく、完治を目指すための「造血幹細胞移植」を行った方がよいと医師から説明を受けた。「治療成績が悪い」と聞いて、とても驚き不安になったが、治療について医師からきちんと説明を受け、納得した上で移植を受ける方針となった。
移植を受ける際には、幹細胞を提供してくれるドナーとの間で、HLA(白血球の血液型のようなもの)が一致していないと、移植後うまく自分の体の中で働いてくれないそうだ。幸いにも、自分の場合は兄とHLA型が一致しており、彼がドナー(提供者)となってくれた。医師によると、本来兄弟の間でも一致する確率は4分の1ほどであり、とても運がよいのだと言われた。
そして1カ月ほどさらに入院したあと、幹細胞移植を受けた。幹細胞移植では、移植による合併症も多く、脱毛、口内炎、貧血、重症感染症、嘔吐(おうと)、臓器障害などさまざまなものがあるため、慎重に経過を見ていく必要があった。
まず、治療は特殊なヘパフィルターと呼ばれる空調設備が整った無菌室で行われた。医師によると、自分の白血球と新しく入ってくる幹細胞とがケンカしないように、移植を受ける前にはいったん自分の骨髄の中の白血球を減らして、空っぽにしなければならないそうだ。
そのために強力な化学療法を行い、全身への放射線照射も行われた。これにより、新しく入ってくる細胞に対して、誤って免疫が働かないようにできるのだという。このときばかりはなかなかのだるさで、ついには薬を飲むのもつらくなり、ほとんど点滴に変えてもらうことになってしまった。
そして、自分の骨髄の中の白血球を減らして、ほとんど空っぽになったところで移植当日を迎えた。
点滴で兄からもらった幹細胞が流れている間は、兄への感謝と、これからも頑張らなければ、という気持ちでいっぱいだった。
移植のあとは、しぶとい感染症に苦しめられることになった。ひどい下痢で、全身がだるく、とてつもなくつらかった。しかも、感染症のリスクが上がってしまうので、家族ともガラス越しにしか面会できない。せめて元気をつけるために、比較的食べやすいアイスクリームを食べようとするも、差し入れにもかなり厳しい制限があり、ストレスのたまる生活が続いた。
そんなときは移植当日のことを思い出して、「頑張らなければ」と自分を奮い立たせた。
感謝の気持ちを忘れずにいられたので何とか耐えることができ、移植した幹細胞が骨髄で血球産生を始めてくれる「生着」という状態にまで無事たどり着くことができた。今後も遅れて副作用が出てくる可能性はあるものの、白血球の数も正常な値にまで回復。3カ月後に退院することができた。
その後は、2週間に1回ほど外来に通院し、経過観察を行うことになった。合併症については、今後も皮膚症状や消化器症状などが出る可能性があると言われているため、体に変調がないか注意して生活している。
幸いなことに今でも寛解の状態を維持してはいるが、やはり治療前の身体と比べると重だるい感じは残り、とても「100%回復した」と言える状況ではない。しかし、日常生活にはそれほど困らないし、職場にも復帰することができた。
長期にわたる入院で職場には迷惑をかけたが、復職時にはみな温かく迎えてくれた。社内では骨髄バンクの活動を支援するサークルを立ち上げたが、本格的な活動はまだまだこれからである。今後は、闘病中に自分を支えてくれたすべての人々に、ささやかながら恩返しができればと考えている。
※症例は特定の個人の実症例にもとづいたものではなく、医師の経験から起こりうる症例を作成しています。また、本症例作成時点での情報であり、現時点での標準治療や医療機関で行われている最新治療とは異なる場合があります。
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